1949年、中華人民共和国を樹立した毛沢東は直ちにチベットへ侵攻。2年後、チベットは事実上、中国の支配下に置かれた。1959年、ダライ・ラマ14世はインドに亡命。後を追うように約10万人のチベット人たちがヒマラヤを越えてインドやネパールに亡命した。2008年、北京オリンピックを目前に控えチベット全土で平和的デモが発生すると、中国当局は容赦のない弾圧を加え、ラサだけでも200名を超えるチベット人が命を奪われた(亡命政府発表)。これによりチベット人の中国政府に対する不信感が高まり、今も増え続ける“焼身抗議”の誘因となった。その他、中国政府の言語教育政策や遊牧民の定住化、天然資源の採掘に伴う環境汚染、チベット人に対する移動の制限なども“焼身抗議”の背景に挙げられる。